上海观光 (日语)
東方明珠塔
上海のランドマークとしておなじみの、高さ468メートルを誇るアジア最大級のテレビ塔東方明珠テレビタワーは浦東新区の陸家嘴に位置しています。タワーの敷地面積は55000平方メートルでございます。タワーは199191日に着工し、あしかけ4年あまりの月日をかけて、19951118日竣工したのでございます。
  タワーの一本体は空高く聳えている3本の柱と斜めになっている3本の柱、それの大小異なった11の球体によって構成されている。一番上の方には長さ110メートルの銅質のアンテナが取り付けられており、柱はそれぞれ直径9メートルと7メートルのもので、その存在はまるで数本の杭が土中に深く打ち込まれたようで、タワー本体を力強く支えております。
 タワーの1階には幅の広い大きな回廊があり、その周り壁には世界各国の名勝地のカラー写真はかけてあります。写真の手前には記念品をはじめ、読み物、食べ物などいろいろな商品を売るカウンターが並んでおります。一階の中央は自由見学や一休みをする場所でその右側には最新式のエレベーターがございまして、毎秒7メートルの速さで観光客の希望する球体へ運行することが出来ます。タワーの正面には大きな広場が広がっております。祝祭日や重要行事が行われる時はしばしばこの広場が利用されます。また夜になると、イルミネーシ
ョンに飾られたタワーは想像を絶するほど美しゅうございます。最新光学技術による照明なので、、方向、強弱、変化などはすべてコンピューターによって、自動的に制御され、その種類も多く、合わせて1000種類にも及び、特に絢爛多彩な変化はまったくマジックのような幻影を浮かび上がらせ、見る人の心を大いに楽しませております。 タワーのどの展望台からも周囲360度がぐるりと見渡せる。東京タワーもしかり、こういうタワーは遠くから望むほうが絵になるので、黄浦江越しに眺めているほうがいい。展望レストランや、町の発展の歴史を紹介する「上海都市歴史発展陳列館」なども併設しており、観光、買い物、娯楽、宿泊、ラジオとテレビ放送が一体化された上海を代表する建築物でもある。

                              「上海都市歴史発展陳列館」
  上海都市歴史発展陳列館は東方明珠塔内にあり、展示面積は1000平方メートル。「華亭溯源」「大通り風景」「開港見聞」「十里洋楊」(西洋風の街)「上海旧跡」「建築博覧」「車の春秋」という7つの部分からなっている。ここは貴重な文物など1000点以上を展示している。実物展示にハイテク手法を加え、道具や模型、音響と光が一体化し、マルチメ
ディア展示となっている。 
陳列館入口の係員にチケットを提示し入館します、入館する右左前方に、サービスカウンターがあります。オーディオガイドを無料に借用する場合には、身分証明書か保証金が必要です。 売店では、地図、写真集、ポストカードなどを取り扱っています。 
                           
序館 華亭溯源の紹介
  6000年前、上海はかつて一つの原始的な村落である。
  751年上海には西部置かれ、黄浦の辺を沿めた。先住民たちは春に田を耕し秋に入り、衣食の資とし、海に川に船を浮かべ、農商業の収益道を切を開いた。清康熙以降、上海漸次「東南の都会」と称される繁栄した都市に発展した。
  近代以降、列強の勢力が次から次へと押し寄せ、上海は外に向けての開放をられ、都市の発展に強く半殖民の烙印が押された。上海の人々は「あらゆる川を受け入れる海」の如き度量を以って近代商工業の発展を押し進めた。広く開拓された市政建設と近代文明の導入は、上海を一躍して近代中国の経済、金融と文化の中心とさせ、有名は一つの国際都市にさせた。
豫園
1559年から19年をかけて造られた四川省の官吏潘允端の私邸園。潘允端が故郷を懐旧する父のために造営した庭園といわれている。400年以上の歴史を持つ江南古典庭園、豫園。かつて「東南地方一のすばらしい庭園」と誉められたほどで、園内の庁堂楼閣、築山と流泉は、いずれも明清時代の中国南部の庭園建築芸術の真髄を表現しています。園北門にある「三穂堂」は清代にはここで米や豆などの取引や値段の取り決めが行われていたことから、「較斛庁」とも呼ばれていた。このほか、広い園内には明代の雰囲気を今に伝える「大假山」、かつて上海城内で最も高い建築物だった「観涛楼」のある「内園」、躍動感あふれる龍が目を引く「龍壁」、かつて太平天国の乱の際に武装蜂起した「小刀会」の本部が置かれていた「点春堂」など見所は多い、さまざまな形をした花窓によって巧みに隔離され、歩を進めるごとにさまざまな魅力を見せてくれます。その静かで美しい庭園を取り巻くように、下町情緒たっぷりの町並みが広がっており、どこか懐かしい風情が漂っています。上海でも容易には見ることができなくなった“昔ながらの中国”を味わいたいなら、豫園がお勧めです。
  また、上海を代表する老舗が集う“豫園商城”や、レトロな町並みを再現した商店街“上海
老街”も見逃さないスポット。食事や買い物はもちろん、店先を覗きながらのブラブラ歩きも楽しめます。
                           
    城隍廟
  城隍の城は城壁の意味で、隍は堀と言う意味で、城隍神は町の守護神である。城隍廟とは城隍神が祭れる廟でございます。中国では早くも周の時代に城隍神を祭ることがあった。宋の時代の上海はまだ華亭県に属する小さい町でした。華亭県の城隍廟は永嘉路にあり、その時の名は「淡井廟」と言う。
 古代,金山沿海地区で盗賊が横行していたため、為政者が神廟を造り、そこに漢代の将軍霍光を祭り、金山の安全を守ってもらいました。元の至元28年「紀元1291年」に上海県が出来ました。明の永楽年間、上海県の知事が上海には上海県の城隍廟を造るべきだと思って、金山神廟を上海城隍廟に建て直しました。
 明代になって,太祖朱元璋全国各地に多くの城隍神を任命しました。上海の城隍廟と任命されたのは秦裕伯という人でございました。秦裕伯は元代の進士で、盗賊の退治にはとても有能な人で、彼は盗賊を捕まえたら、釈放します。その盗賊が2回つかまったら、
  秦裕伯はお金と食糧を与えて、うちへ帰らせます。3回も捕まったら、手足を切ります。それで、盗賊がますます少なくなりました。それを知った朱元璋は役人になってほしいと3回も誘いましたが、秦裕伯はそれとなく断りました。秦裕伯が亡くなった後、朱元璋はとても悲しんで「生きていた時にはわが臣になってくれなかったが、死んだ後はわが国土を守ってくれ」と言って、上海の城隍神に任命しました。そういうことで一つの城隍廟に2人城隍神が祭られるようになりました。
 1924年、城隍廟は戦争で焼き払われました。今の城隍廟は1926年に再建されたものです。今の殿堂は鉄?コンクリートのもので、高さ16メートル、幅12メートルで、奥行きは21メートルである。前殿には霍光の像が祭られ、像の高さは5メートルでございます。中殿には秦裕伯夫婦の像が祭られております。
                           
    豫園老街
  豫園南部に広がるのが老街という通りで、ここは古い上海の雰囲気をかもし出す町並みが表現され場所で、1999年から開発が開始され、今はお土産、骨董品店などの小さい店舖がぎっしりと並んでおります。
  豫園商城に次ぐ散策スポットとして注目されているのが、近年再開発された豫園の南側を、東西に走る全長約1kmの方浜中路。通り沿いに約100軒並ぶみやげもの屋や茶館などの建物が明代風に整えられ、古の上海を再現。中国テイストの小物もたくさんある。豫園商城より落ち着いた雰囲気でのんびり散策できる。歩き疲れたらレトロな茶館での休憩がおすすめ。
上海一の繁華街「南京東路」
上海一のメインストリート、南京路。外灘の和平飯店角から静安寺の西まで続く全長約5.2kmの大繁華街です。老舗の百貨店や食品店を中心に、近代的なショップが入り交じる活気あふれる繁華街“南京東路”と、高級ホテルやショッピングモールを中心に、オシャレなカフェやハイソなレストランが並ぶ“南京西路”に分かれており、東西趣の異なったストリートとなっています。
  南京東路は大半が歩行者天国。店を気ままに覗きながらのブラブラ歩きが存分に楽しめます。路上観光列車に乗って、通りを眺めながらのんびり一回りするのもいいでしょう。 
新天地
上海新天地は2001年、フランスの租界だった昔の街並みを蘇らせ、オシャレで高級感あふれるエリアとして生まれ変わりました。歴史的風貌を持つ都市観光のスポットであり、飲食、ショッピング、ショーが一体化された娯楽センターである。ノスタルジックあふれる石やレンガづくりの建物の中には、ハイセンスで個性豊かなショップ、ブティックのほか、中国料理をはじめ日本料理、フランス料理、スペイン料理など、世界各国のレストランががズラリと並びます。アジアと欧風の文化が入り交じったオリエンタルな雰囲気は、まさにコスモポリタン上海ならでは。新天地広場は、上海の中心地帯にあり、淮海中路の商店街に隣接している。新天地の石庫門の路地に奥深く入れば、青煉瓦と黒煉瓦造りの建物が軒を並べている。アーチ型の玄関、戸の枠の横木と家の軒、窓台が優美で当時の情緒を今に伝えている。石庫門の中は別の風景が見られる。もともと閉め切った戸が全部開けられ、広々とした空間となっている。昼と夜とではまったく違う顔を持つので、時間があればそれぞれの顔を見ておきたいもの。ロマンチックな夕暮れ時もおすすめです。
上海博物館
中国でも屈指の近代的な博物館。人民広場南側に位置する、鍋の蓋のような建物の上海博
物館。建物の延べ面積は38000m2であり、陳列面積が12,000m2クルマレテを持ち、約12万点の文物を所蔵しており、その収蔵品の豊富さ、品位の高さは国内外に知られている。ゆっくり見学しようとするなら、とても1日では回り切れない。1階は中国古代青銅館と古代塑像館。唐三彩はじめ各時代の貴重な文物が多数展示されているが、なかでも仏教遺跡関係の展示に定評がある。2階は歴代絵画館と書法館。唐代から清代にかけての優れた作品が目を引く。書道に興味のある人ならば、このフロアだけで1日を費やしてしまうかも知れない。3階は古代玉器館と歴代銭幣館。玉器は殷代、周代のものが特に素晴らしい。当時の人々が、これほど精緻な技術を有していたとは驚嘆に値する。4階は少数民族工芸館と歴代印館。民族あふれる衣装や装飾品などは、見ていて飽きることがない。中国六千年におよぶ古代芸術の輝かしい歴史を全面的に展示している。博物館見学のとき日本語のイヤホンガイドが別料金でご利用できる、20083月から博物館の入場料が無料になりました。   
玉仏寺
1882年に創建された上海最大の禅宗寺院。創建者は普陀山の高僧であった慧根が苦行のす
え遥かミャンマーまで修行に行き、そこで得た2体の玉仏を安置するためにこの寺を建てた。臥仏堂内に安置されている玉仏横臥像は、長さは約1m、紫檀作りの寝台に穏やかで憂いのない表情で臥している。玉仏楼に安置されている玉仏坐像は、高さ1.92m、幅1.34m。現在中国でもっとも大きな玉仏で、体に無数のメノウや翡翠石が飾られた世にも稀な珍品である。
精進料理も有名で、上海の美食家たちにも楽しまれている。
中国上海市の概況
上海市は北緯3114分、東経12129分で鹿児島市とほぼ同緯度に位置している、中国東海岸中部、揚子江(長江)の河口南岸に位置しており、東は東中国海に面し、南は杭州湾に臨み、西は江蘇省、浙江省と接し、北は長江河口に至り、交通が便利で、面積も広く、地理的条件も優れ、すばらしい河川と港湾に恵まれている。総面積は6341平方キロ、1800万人が生活している中国最大の経済中心都市である。

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